親和土建100年の歩み

支えていただいた皆様へ 心からの感謝を胸に

1921年の創業より、たくさんの皆様に支えていただき、親和土建は順調な成長の中、今年100周年を迎えることが出来ました。長い年月で築いてきた実績と信用を基盤に、私たちはこれからも時代とともに成長し続けていきます。

感 謝

環境の融和を大切に新しい創造空間へ

 私ども株式会社親和土建は、初代社長 林田達馬が1921年(大正10年)に創業以来皆様方の格別なるご愛顧を賜り、おかげさまで今年100周年目を迎えることが出来ました。
 初代社長 林田達馬は当初より『堅実、信用第一、誠実に』を社訓とし、二代目社長 林田武、三代目社長 川島邦元とその意思を引継ぎ、長崎の皆様方と歩んで参りました。
 終戦直後、初代社長と従業員、そしてその家族も被災した中で、郷土復興にいち早く取り組み尽力して参りました。
本業の建設業では、鉄筋コンクリート建築など当時の新技術を積極的に導入してきました。
又長崎の皆様に長い間親しまれてきた「長崎スポーツセンター」を運営するなど異業種展開も図り、関連企業共々順調な歩みを続けて参りました。
 これもひとえに皆様方の御支援、御厚情の賜物と深く感謝致しております。
 100周年目の節目にあたり、今我々は未曾有の社会情勢と向き合っています。
昨日までの常識が明日には通用しなくなる、かつての様に夢を描きづらい時代なのかもしれません。
しかし、そのような時代であっても、我々が100年という歳月で培った『技術』と、社是である『誠実』をもってすれば、必ず道は切り開けると確信しております。
変化する時代に遅れぬよう一層技術の研鑽に励み、信用第一に堅実な歩みを続けて参りたいと思っております。
 皆様方の旧に倍する御支援と御指導を賜りますようお願い致します。

感 謝  代表取締役社長
川島 邦元

100周年事業として
長崎県に寄付

親和土建 代表取締役 川島 邦元(右)(令和3年 1月当時)
平田 研 長崎県 副知事(左)

100周年事業として
長崎市に寄付

親和土建 代表取締役 川島 邦元(右から3番目)(令和3年 1月当時)
田上 富久 長崎市長(左から3番目)

親和土建100年の軌跡

大正10年7月
林田組を創業 代表者は林田達馬

林田達馬は、明治27年(1894)、長崎県南高来郡加津佐町生まれ。
大工の棟梁として数人の弟子を使う一方、配管工、配線工、屋根職人といった職人を手配して、家一軒建てる工務店であった。

昭和21年
林田組を有限会社 親和土建へ社名及び組織変更

戦後復興のために、公共工事を中心とした事業を行う。

『ただその時その時を、力いっぱい努力してきた。自分で自分を苦しめる様な仕事をしてきた。だがそれで良かったと思っている。人間に一番大事なのは誠意である。』
そう語る林田達馬の言葉に、一人の棟梁としての姿を見ることができる。「誠実」という言葉は、親和土建の社是となっている。

昭和24年
長崎市袋町(現・栄町)で製材所を始める
昭和30年代中頃
新技術を導入し、島原・小浜・雲仙などのバスターミナルを建設

本格的な鉄筋コンクリートによるホテルを建造。

昭和38年
株式会社 長崎ボウリングセンター設立

ボウリング場は夏にオープン。
時代的には、大ブームになる直前で、連日盛況を続ける。

昭和39年
有限会社 親和土建は、株式会社 親和土建へ組織変更
株式会社 長崎スポーツセンター設立

アイススケート場は、長崎初の施設として大盛況を博す。

昭和42年
林田 達馬が黄綬褒章を授与
昭和43年
代表取締役に林田 武が就任
昭和48年
市民総合プールを新設
昭和57年
林田 武が黄綬褒章を授与
昭和61年
親和土建の協力会である親和会を設立
資本金4,500万円に増資
平成13年
リフォーム事業部を開設
平成14年
林田 武が勲四等瑞宝章を授与
平成17年
代表取締役 会長に林田 武が就任
代表取締役 社長に川島 邦元が就任
平成26年
スポーツセンター跡地に商業施設 ララプレイス愛宕を誘致
令和5年
川島 邦元が産業功労賞を受賞
令和6年
代表取締役 会長に川島 邦元が就任
代表取締役 社長に山崎 豪が就任